転任にあたって


東京歯科歯科大学教授  高 野 吉 郎
 この度、一条 尚教授の後任として、平成8年1月1日付けで東京医科歯科大学歯学部、口腔解剖学第二講座に転任いたしました。新潟大学歯学部での在任はわずか4年8カ月ということになりましたが、その間、多くの方々から叱咤激励をいただき、母校の暖かさを肌で感じて参りました。今回は発令が比較的急であったために、学内、学外の同窓の皆様に事前に十分なご挨拶が出来ませんでしたことを、この場を借りしてお詫び申し上げるとともに、皆様から賜ったご厚志に対して改めて御礼申しあげます。
 さて、この4年8カ月を振り返ってみますと、どうも運悪くと申しましょうか、本来の教育研究以外に随分と時間を割かざるを得ない、大変な時期に行き当たってしまった様な気がします。赴任した直後に閣議で医学・歯学教育の6年一環制への移行が決定し、直ちに教養部解体に伴う全学の教育システムの再構築と、具体的なカリキュラム改訂のための大がかりな作業が始まったことは、まだ記憶に新しいところです。また、時を同じくして「環日本海メディカルセンター構想」を軸とした「旭町再開発計画」が急展開を見せ始め、落ちついて教育研究に集中することなど許されない状況で、新米教授にとっては厳しいスタートであった様に思います。この二つの案件は今日でも継続審議されている重要課題であるわけですが、この間、特に旭町再開発に関しての小澤学部長を初めとする学部執行部のご努力は目を見張るものがあり、学部の権利は与えられるのではなく、要求して初めて勝ち取るものであるということを理解させられました。在任期間を通じてこれらの問題の検討の場に参画できたことは、歯学のこれからあるべき姿を模索する上で貴重な経験を得たと感謝しております。
 新潟での多くの貴重な経験の中でも特に忘れられないのが、このわずか1年程の短期間に達成された学術情報網の整備と、それに伴う急激な研究環境の変化です。大学人として新潟に居ることのデメリットがもしあったとするならば、それは情報量がメガロポリスより圧倒的に少ない、ということが挙げられたでしょうが、このめざましい環境変化は「地方と中央」といった概念すら全く無意味なものにしてしまいました。事実、インターネットを活用した情報網が整備されてからわずか1年で、新潟大学歯学部は歯学関係の全国情報ネットの中枢としてその運用をリードするほどになっているのです。また、注目すべき点は、こうした情報ネットワークの維持活動とその関連の事業が、ほぼ全面的に学内の若手の先生方によるボランティア活動によって運用されて来た点です。そのパワーは確実に教授会を動かすところとなり、最近はWWWサーバーが新大歯学部の公式なドキュメントとして認知されたと承知しております。この1年は学内の若手参加による学部運営が始動する機運が垣間みられた年であったと感じられ、良い時間を共有できたと嬉しく思っております。
 1月中は先方の大学のご理解を得て東京と新潟を行ったり来たりの生活をしておりましたが、お陰で数年ぶりのまとまった雪に見舞われた新潟の冬らしい冬を味わうことができました。皆様のご健勝を願い上げ、新潟に感謝して、転任のご挨拶とさせていただきます。
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