新潟大学大学院 歯科麻酔学分野

新潟大学大学院 医歯学総合研究科 歯科麻酔学分野

痛みの神経機構

現在考えられている慢性疼痛のメカニズムについて

慢性疼痛は“急性疾患の通常の経過あるいは創傷の治癒に要する妥当な時間を超えて持続する痛み”と定義されています。

その背景には一般に急性疼痛の原因である侵害受容性疼痛、炎症による痛みが長期的に関与している場合に加えて、神経自体の障害によって引き起こされる神経障害性疼痛の要素、さらに痛みの状態を複雑にしてゆく不安やストレスといった心理/社会的な要因が絡み合っている状態と考えられます。このため痛みの診断/治療には多方面からのアプローチを必要としています。

また慢性疼痛の治療を困難にしている要因の一つに末梢性と中枢性の感覚信号を増強させる“感作”があります。口腔顔面領域の痛みは三叉神経三叉神経によって脳へ伝えられます。末梢で生じた感覚は三叉神経節を通り、延髄に入り三叉神経脊髄路核で次の神経に乗り替わり、視床に伝達され内側、後外側核より情動に関与する帯状回や島、扁桃体などの内側系と体性感覚野を中心とした皮質の外側系へと投射されます。

末梢性の感作には以下のようなメカニズムが考えられています。

  1. 侵害受容器が炎症性のメディエータにより常に活性化されやすい状態になり、発火の閾値が低下してしまう。
  2. 末梢神経の損傷で神経や神経節にナトリウムチャネルが異常に増加する、その結果異常な活動電位が発生する異所性発火を生じる。
  3. 末梢神経の損傷でαアドレナリン受容体が異常に増加して、そこに交感神経が伸びだし、交感神経からのノルアドレナリンの放出でαアドレナリン受容体の活性化により異常な活動電位が発生する。

 

一方、中枢性の感作では、三叉神経が延髄での2次ニューロンに乗り替わる部位での異常が示唆されています。

  1. 侵害刺激が低頻度で連続的に加わると痛覚ニューロンが刺激以上に発火するようになり、ついには刺激がなくなっても発火が続くようになってしまう。
  2. 高頻度で連続的な刺激が加わると、ニューロン間のシナプスの伝達効率が長期的に増強する現象の長期増強(LTP)が生じる。
  3. シナプスでの痛みを伝えるイオンチャネルが活性化して、グルタミン酸やサブスタンスPといった神経伝達物質の増加。
  4. 障害神経から放出される神経栄養因子が神経の異常な発芽を促し、本来痛みの神経と接続しない感覚に痛み情報がつたえられてしまう神経線維の可塑的な変化が生じる。
  5. 神経周囲に存在するグリア細胞の活性化によって神経の興奮性が増強される。

我々の現在の研究は、特に三叉神経の末梢での異常を検出し、そのモデルの構築や慢性痛にならないための予防や治療方法の創出に力がそそがれています。

主な研究

動物実験段階

  1. 三叉神経損傷後の神経腫形成メカニズムの解明
  2. GABAA受容体の疼痛伝達機能への影響:膜電位変化の画像解析法による三叉神経脊髄路核における痛覚伝達機構の分析
  3. prip-1,prip-2ダブルノックアウトマウスの行動学的疼痛行動の分析
  4. Neuropeptide Yの疼痛伝達機能への影響
  5. 下歯槽神経の神経障害性疼痛モデルによる研究

前臨床段階から臨床への研究

  1. 高磁場MRIによる高分解能神経画像法(3DVR-MRN)の開発と臨床応用
  2. 水分子の拡散をMRIにより画像化する拡散強調画像を用いた三叉神経損傷の評価
  3. 三叉神経損傷の電気的診断(超短潜時誘発電位)の意義
  4. 人工神経 (PGA-collagen tube) による損傷三叉神経の再生メカニズム
  5. 簡易温度検査器械の開発とそれによる感覚神経損傷の分析
  6. 歯科疾患の心理的影響の分析

研究トピックス

核磁気共鳴学の三叉神経病態分析への応用

痛みの原因の可視化が私たちの一つのゴールです。

痛みとは例えば実際に皮膚が切り裂かれたといった他覚的にもわかるものから、心の懊悩のような他人にはうかがい知れない痛みまであります。慢性痛をみることの難しさは後者のような外からは明らかにとらえられにくい部類に属していることです。

外からみた痛みのわかりにくいことを示す諺に“他人の痛みなら100年でも気にならない”他事かように、なってみなくては分からないものであるようです。

しかし私たちの口腔顔面領域の痛みに対する考え方の第一歩は、“末梢に何らかの痛みの要因があるはず”からスタートします。

歯科で一般に用いられる画像手法は口腔内にフィルムを置くX線デンタル写真や断層法の一つであるオルソパントモグラフ(パノラマ)ですが、もし口腔顔面領域の神経損傷が疑われる場合には、直接的な神経の情報は得られません。故にどこも悪いところが無いのに何故痛いのかとなってします。

そこで私たちは神経選択的な画像法の開発から始め、MRIを用いた高分解能神経画像法(3DVR-MRN)を新潟大学脳研究所 統合脳機能研究センターと共同で開発してきました。

現在、3DVR-MRNはmm以下の微細構造の画像化へと向かっています。実際、末梢神経の損傷とその後の異常な再生に伴って神経の蛇行や、こぶ状に変形したり、線維性の結合組織の増殖で瘢痕化した病態が実際に多くの症例で確認され、痛みの原因のかなりの部分は異常再生の一つ神経腫が関係していると考えられます。

すでにわれわれの研究では、傷ついた神経が再生する際、異常な結合組織の増殖を伴い神経腫を形成してゆく形態学的変化の過程をとらえており、こうした臨床経験を重ねた施設は現在世界的にも類を見ません。

▲高分解能神経画像法 (3DVR-MRN):下歯槽神経(黄色)、骨の中に埋まった智歯(親知らず)を抜歯した後に増生した結合組織(オレンジ)、痛みの原因と考えられる変形した舌神経(青)

(Terumitsu M, Seo K, Matsuzawa H, Yamazaki M, Kwee I L, Nakada T. Morphologic evaluation of the inferior alveolar nerve in patients with sensory disorders by high-resolution 3D volume rendering magnetic neurography on a 3.0-T system. Oral Surg Oral Med Oral Pathol Oral Radiol Endod 2011;111:95-102.)

Advanced Research

水分子の状態計測による神経病理イメージング

線維性の結合組織と神経線維を水分子の拡散を画像化した解析方法で病理イメージングする方法で神経再生の異常メカニズムの解明に迫っているところです。新潟大学脳研究所統合脳機能研究センターと共同して最先端の核磁気共鳴学的手法を駆使して、臨床応用を進めています。

すでに、病変部の神経線維の構造解析が進められており、痛みの重症度との関連が明らかになりつつあります。

(照光 真、瀬尾 憲司 、松澤 等 損傷末梢神経の異常再生に対する高磁場拡散強調MRI解析Peripheral Nerve 22(2):320-321, 2011)

超短潜時三叉神経体性感覚誘発電位

三叉神経領域の神経障害の形態や伝導性の変化を電気的な時間と強度の変化に置き換えて非侵襲的に計測する方法を臨床応用しています。

これは脳波計を用いて、神経の走行の変化や周囲の結合組織の状態や軸索損傷後の病的な再生に伴う変化をとらえようとするものです。末梢神経の損傷がある場合、電気刺激から10数ms以下の波形成分に健常側との差異が生じてきます。当科での特徴的な診断方法の一つです。

三叉神経の感覚異常の測定

高度な神経病理イメージングに加えて臨床症状を的確に診察できることが、私たちの痛みへの取り組みの基本です。神経障害の程度を客観的に正確に数値化する方法(Quantitative Sensory Test: QST) は診断に欠かせません。

たとえば触知覚の空間的時間的弁別能を測定するテストや、神経支配領域の空間分布を示す数値である2点間弁別閾値測定、触知覚閾値の強度測定、損傷した神経の種類を判断する温度知覚、味覚、顔面温度などがあります。これらは米国の口腔外科学会で標準的に用いる方法で行われ、世界に通用する国際的な評価方法をとっています。

実際、神経の修復を促すステロイドを集中的に投薬にする治療ではQSTの結果を基にその適応や予後判断を行っています。

(Soe K, Tanaka Y, Terumitsu M, Someya G. Efficacy of steroid treatment for sensory impairment after orthognathic surgery. J Oral Maxillofac Surg. 2004, 62(10):1193-7)

また、前出の温度知覚計測は、損傷した神経線維が太く(髄鞘化した)線維かそれとも細い(無髄)線維かを判断するうえで重要な指標ですが、簡便に正確に測定する手法があまりないのが実状です

そこでわれわれは、新たな温度刺激装置とその計測手法を開発しました。与えた刺激温度は体表との温度差によってどんどん変化してゆきますが、これをフィードバックコントロールで温度を一定に保ち、3つの温度をプリセットできるコンパクトな温度刺激装置です。

(瀬尾憲司、照光真 他:ペインクリニック Vol.33 No.4 569-572(2012.4)

これである温度の組み合わせを提示して反応を計測すると損傷神経の種類を簡単にスクリーニングできる方法を臨床応用しようとしています。

Advanced Clinical Application 神経再生

投薬や神経ブロックによる標準的な治療法に加えて、われわれの新しい試みは病的な神経再生が進んだ部位を切除して人工神経管を用いて健全な神経再生を促す治療法で臨床応用を始めています。

人工神経管はポリグルコン酸+コラーゲンからなり、京都大学再生医科学研究所で開発されたもので、神経再生手術の世界的な専門家である整形外科医とチームを組んで手術にあたっています。三叉神経領域での使用は初の試みで、徐々に症例を増やしつつあります

(Seo, K., Inada Y., Terumitsu, M., Nakamura, T., Horiuchi, K., and Inada, I., Someya, G., One year outcome of a damaged lingual nerve repair using a PGA-Collagen tube: A Case Report. J Oral Maxillofac Surg Jul;66(7): 1481-1484, 2008)。

われわれは生体内神経人工再生による長期経過を追っていますが、舌神経の予後では驚くべきことに味覚の再生が7年後に生じた症例を経験しています。

(Protracted delay in taste sensation recovery after surgical lingual nerve repair: a case report. Seo K, Inada Y, Terumitsu M, Nakamura T, Shigeno K, Tanaka Y, Tsurumaki T, Kurata S, Matsuzawa H. Journal of Medical Case Reports 2013, 7:77 18 March 2013)

慢性痛の予防

神経損傷後にすべての人が神経腫を形成し痛みをだすわけではありません。痛みにまで至る原因は今のところ完全に解明されていません。

Advanced Research

われわれは動物実験で、神経腫モデルラットに対し生化学的、物理的な手法で損傷後神経の再生時に暴走した神経再生を抑制する方法を検討しているところです。これにより将来的に歯科治療後の慢性的な痛みの発生を予防する方法につながるようにしたいと考えております。